現:No.005
著者:月夜見幾望


敵はただ一人。
殺気渦巻く戦場に構えることなく、ただ自然体で立っている。
その姿は一見無防備に見えるが実はそうではない。
彼女は知っているのだ。己と敵の力量の差を。間合いを詰められるまでの時間を。この地形を最大限に生かせる場所を。
そして、単騎にもかかわらず、己が圧倒的優位な形勢であるということを……。

「キキョウ。そんな時代劇風に戦況を語ってないで、さっさと突っ込め」

横から口を挟んできたのは、我が陣営の頼れる切込み隊長───月草紫苑先輩だ。
その小柄でかわいらしい外見とは裏腹に、圧倒的攻撃力と素早さを有した一陣の風。死角からの投擲攻撃を得意とする、影の暗殺者。
その狙いは正確で、5間(1間=1.818m)離れた場所にいる蟻にさえ当てられるという……。

「いい加減にしろ!」

ごきゃっ!!

「ゲフッ!!」

いきなり首を掴まれて、強引に向きを変えられた。
空耳だと信じたいけど、首のあたりで嫌な音が聞こえたような気がする。

「いきなり何するんですか、紫苑先輩! なんか首筋がすっごく痛いんですけど!」
「そんなことは問題ではない。チグサの注意を逸らすためにキキョウが鉄砲玉として突っ込めと言っているのだ」
「嫌ですよ! どっちにしても僕の身の安全は保障されてないじゃないですか!」
「当然だろう。戦に多少の犠牲はつきものだ。それに、お主の役目は盾か鉄砲玉と前世から決まっているだろう」
「前世から決まっているんですか!?」

そんな、ひどい!!
みんな、きっと僕の命なんてどうでもいいと思っているんだ!!

「ふふ、いらっしゃい桔梗君。私が優しく抱きしめてア・ゲ・ル」
「こわっ!!ってか、部長そんなキャラじゃないでしょう!?」
「羨ましくないぜ、桔梗。あの部長にハグされるなんて。いいから、さっさと胸に飛び込んでこいよ」
「ちょっと待って青磁! 今の台詞、なんか文意の接続おかしくない!?」
「でも千草部長の介抱を受けた人は、現世の悩みや痛みをすべて忘れられると聞いたことがあるわ。ちょうどテストで鬱ってた桔梗にはぴったりじゃない」
「うん、茜、その意味を少し冷静に考えてごらん。明らかに“昇天”とか“綺麗なお花畑が見える”系の技だよね?」
「あら、桔梗君ったら失礼ね。私はそんなひどいことしないわよ」
「部長の言うことは信用できません!!」

これまで培ってきた経験による脳内警報がピコーン、ピコーンと危険を知らせている。
僕は『今、部長の射程範囲に足を踏み入れたら命はない』と冷静に判断を下す。

「ああ、もうまどろっこしい! いいから行ってこい!」
「ぎゃふっ!!」

どかっと背中に強烈な蹴りを入れられた僕の体は、意志とは反対に部長の豊満な胸にダイビング。
ドMか、巨乳好きの人にとっては天国だろうが、僕にとって、この状況はまさに地獄でしかない。

「あらあら、みんなから苛められて可哀想ね、桔梗君。でも大丈夫よ。私だけはずっとあなたの味方だから」
「ぎゃ〜!! 助けて!! 離して!!」
「そんなに怖がらなくても平気よ。悪いようにはしないから」
「よし、セイジ、アカネ。チグサが餌(キキョウ)に喰い付いている隙に次の作戦を立てるぞ」
「「了解!!」」
「待て〜!!!! 僕はただの時間稼ぎかいっ!!!」
「こら暴れないの。お姉ちゃんはあなたをそんな子に育てた覚えはないわよ」
「気色悪っ!! 部長はいい加減その“お姉ちゃんキャラ”止めてください!!」

ちなみにこの意味不明な状況を、東雲さんは『……わ、私は何も見なかったことにします』的な表情で、一方、紺青さんは『わぁ〜!! 先輩達すっごい楽しそう!! いいなあ……あたしも混ざりたい!』的な表情でそれぞれ見守っている。
……やっぱり、この部活の常識人は東雲さんだけみたいだ。

「セイジ、アカネ。これより三人での同時多重攻撃を仕掛ける! チグサはおそらくキキョウを盾にすると思うが、構うことはない。キキョウごと打ちのめせ」
「理不尽だっ! 今すぐ裁判の開廷を要求する!」

もし、この状況で僕が先輩に手をかけても、12人の陪審員は全員無罪の判決を下すだろう。

「水を差すようで悪いけど、日本で陪審制が行われていたのは1928年から1943年までの間よ。今は、参審制に近い裁判員制度だってことを覚えておいてね」
「…………」

茜に指摘され、脳内陪審員たちは『勘違い乙』『もっと最近のニュースをよく見たまえ、少年よ』『君の知識不足には涙が出るよ』『先生は君の勝訴を心から祈っているからね! それでは、アディオス!』などと、それぞれ勝手なことを言いながら退場していく。
……もう二度と、彼らは呼ぶまい。
頭の中で『ドナドナ』が鳴り響く中、唐突に青磁が大声を上げた。

「紫苑先輩!! 仲間を見捨てるなんて、先輩はそれでも“大和魂”の持ち主なんですか!?」
「“大和魂”……」

その言葉に、はっと我に返る紫苑先輩。

「そうです。先輩の大好きな時代劇を思い出してください。仲間を信頼し、共に戦場を駆け抜けた侍たちの熱き心を」
「そうか……そうだったな。拙者は間違っていた……。『戦に犠牲はつきもの』───それだけに囚われていて大事なものを見失うところだった。セイジ、お主には感謝する。古き日本を揺るがした熱き侍たち。彼らに敬意を払い、この月草紫苑。必ずやキキョウを助け出し、そして写真も奪取してみせる!」
「そうだ先輩。桔梗は俺たちの大切な親友なんだ。見捨てるワケにはいかないぜ!」
「私たちのコンビネーション。千草部長に見せてあげましょう!」

青磁と茜も力強く頷く。
その姿に僕は思わず涙が出そうになった。
なんだかんだで、みんな僕のことを想ってくれていたんだ。
同じ文学部の仲間として。親友として。

「あら、そう簡単にいくと思って?」

部長が妖しく微笑むと同時に、首筋にひやりと冷たい物が押しつけられた。
金属質の鋭利な刃物……。

「「「桔梗(キキョウ)!!」」」

これにはさすがに度肝を抜かれたのか、東雲さんと紺青さんも身を固くしている。

「さあ、そんなに桔梗君が大事なら、おとなしく降参することね」
「くそっ!」

青磁が飛びかかろうとするが、紫苑先輩に止められる。

「止めないでくれ、先輩!! あいつは……桔梗は、一番初めに俺と仲良くしてくれた大切な親友なんだ!!」
「待て、セイジ! 気持ちは分かるが、少し落ち着け! がむしゃらに飛び出してもキキョウは助けれらない!」
「でも……っ!」
「助けられる方法はただ一つ……。チグサ……悔しいが、この勝負……拙者たちの負けだ」

紫苑先輩の敗北宣言に、部長も刃物を手にした力を少し緩める。

「勝負あり、ね。じゃ、少し邪魔が入ってしまったけど、クリスマス会の話の続きを……」
「───と、言うとでも思ったか?」

紫苑先輩が手首を素早く動かすと、初手で投げた手裏剣が、まるでビデオの逆再生のように再び動き出した。
目視さえ困難な驚異的な速さで空気を引き裂く手裏剣は、もはや慣性や重力さえ無視した動き。魔法を使ったとしか思えない動きだった。
息を持ったそれは、またもや正確に部長の手にした刃物を捉え、弾き飛ばした。

「なっ!?」

部長が驚愕の声を漏らすが、間近でその動きを見ることのできた僕には、手裏剣に仕込まれたカラクリに気付いた。
あの手裏剣と紫苑先輩の手首は細い糸で繋がれていて、手首を動かすだけでその軌道を自在に操れる仕掛けになっていたのだ。
ヨーヨーと似たような原理だと思ってもらえればいい。

「キキョウ! 今だ!」
「了解!」

千草部長がひるんだ隙を逃さず、件の写真を持っている方の手首を思いっきり蹴りあげる。

「っ……!」

部長の手から離れ、宙をふわりと舞う写真。
その唯一できた勝機を逃すほど、僕たちは馬鹿じゃない。

「青磁!」
「任せろ!!」

一切の対空時間を許さず、青磁は流れるように次々と写真を掴んでいく。まるで、見えない磁力でも働いているかのような正確さだ。空気抵抗による複雑な軌道でさえ、青磁の前では意味を成さない。
だが、それを黙って許すほど、部長も甘くはなかった。

「くっ……なかなかやるじゃない。こうなったら、二人ともまとめて逝きなさい!」
「へ?」

唐突に、床の固い感触が無くなった。
部長に背負われ、宙に浮いた体はそのまま一回転し、青磁を巻き込んで床に散乱しているぬいぐるみに叩き付けられた。
───部長の十八番、一本背負い投。
僕自身は男子平均より体重が軽い方とは言え、男を軽々と投げられる部長の腕力には畏怖せざるを得ない。

「さあ、写真を返してもらおうかしら?」

背中からの衝撃を受けて、しばらく立てない僕たちから部長は容易く写真を取り戻す。
その顔は勝利を確信しているが、部長は忘れている。僕たちには、“もう一人仲間がいる”ことを。

「残念ね、千草部長。それは偽物(ダミー)……私の手にあるのが本物よ」

そう言って、茜は不敵に微笑む。
それは天使でも悪魔でもなく……“知識の王者”の微笑みだ。

「一体、いつの間に……」
「手品(マジック)が使えるのは何も千草部長だけじゃないわ。“記憶マスター”の座を物にしたこの私───竜胆茜の“知識”をあまり舐めないことね!」

そう、茜の知識は、ほぼすべての分野を満遍なくカバーしている。もちろん、手品もその中の一つだ。
僕と青磁がぬいぐるみに叩きつけられる直前、茜は本物と偽物を一瞬にしてすり替えていたのだ。

「くっ……!」

部長が茜に手を伸ばすが、それよりも一瞬早く、

びりっ!!

茜は写真を引き裂いた。






*   *   *   *   *






「……負けたわ。みんな、すごく強くなったわね。見事な連携だったわよ」

もうすぐ部活動終了時間となる午後六時前。
日入りはとっくに過ぎて、各校舎は夜の顔を見せ始めていた。
習い事がある東雲さんと、彼女と帰る方向が同じ紺青さんは、一足先に部室を出て行った。
そんな中、特に悔しがるでもなく、むしろ心からその成長ぶりを褒めるような温かい声で部長は言った。

「いえ、部長が手加減してくれなかったら勝てなかったと思いますよ」
「あら? 私がいつ手加減したと言うの?」

惚けたように部長は首を傾げるが、僕たちは全員気付いていた。
四人を代表して僕が解説する。

「まず一つ目。千草部長が僕の喉元に当てた刃物ですけど、あれって触れると先端が引っ込む、切れない玩具ですよね? 部長が僕を傷つけるようなことは絶対にしない、とまでは断言できませんが、万が一殺傷沙汰になったら学校側、特にこの文学部に迷惑がかかる。場合によっては廃部になる可能性も否定できない。この間まで部長を務めていた千草先輩なら、それだけは絶対に避けるはずだと思ったんですよ。多少、表現の形は歪んでいますけど、部長の優しさは僕たち全員に伝わっていますから」
「……もしかして、みんな気付いてたの?」

部長の問いに全員が頷く。

「当然だろう。拙者の眼は鍛えてあるからな。例え暗闇でも、玩具かそうでないかくらいは判別できる」
「ただ、それを明かしてしまうと部長のプライドを傷つけてしまうような気がして……。だから俺も気付かないフリをしていたんです」
「それにしても青磁のアクションはややオーバー過ぎじゃなかった? 『桔梗は大切な親友なんだ!!』って所で思わず吹きそうになったわ」
「うん、そこ吹く所じゃないよね。茜は僕を親友だと思ってないの?」
「まさか。私も桔梗のことは好きよ。もちろん、友達として、だけどね」
「それは良かった。じゃあ、何で茜の新作の推理小説に出てくる被害者のモデルが僕なのか、今度じっくり話し合おうね」
「あ、ごめん。やっぱ、さっきの嘘」
「嘘なんかいっ!!」

ちくしょう!
後で茜にはたっぷり報復せねばなるまい。

「ふふふ。やっぱりみんなが集まると面白いわね。そう……私はね、この文学部が大好きなの。本当の自分を曝け出せて、とっても心が安らぐ空間……それを自ら壊すようなことは絶対にしないわ。なんなら神様に誓っても構わない」
「チグサに誓われても神も困るであろうに……むぐっ!」
「そんなこと言うのは、この口かしら?」

紫苑先輩の頬を掴んで、ぐいぐい引き延ばして遊ぶ部長。
その構図は、まるで仲睦まじい親子みたいだ。

「なんだかんだで、部長って“お母さん”っぽいイメージがあるんだよな」
「あら、だったら今すぐ抱きしめてもらえば?」
「……それは遠慮しておこう。俺の貞操に関わるような気がする……」
「なんか言った、青磁君?」
「いえ、なんでもありません」
「そう。───ところで桔梗君。私が手加減していると気付けた決定打は、本当にあれだけだったの?」
「いえ、ほかにもありますよ。部長が僕を背負い投げた時、床じゃなくて、柔らかいぬいぐるみの上を狙ってくれたでしょう? あれは、僕たちが背中に受ける衝撃を和らげるため、ですよね」
「そう、ちゃんと気付いてたのね」
「後、これはバトルと関係ないですけど。さっき東雲さんが一人で帰ろうとした時、紺青さんに一緒に帰るように促したのも部長です。暗い道を女の子一人で歩くのは危険だと思ったからでしょう?」
「参ったな〜……。変な観察眼だけは一人前ね、桔梗君は」
「『だけ』って何ですか!?」
「ふふ、褒めているのよ。だからこそ、私の後継ぎは桔梗君に任せたいと思っているの」
「部長に就けってことですか? 明らかに文学部の地位を落とすと思いますけど」
「地位なんて関係ないわよ。要は、この部活のことを一番に想ってくれているか、なの。確かに桔梗君は成績悪いし、少し頼りないし、ほかのみんなに振り回されがちだけど……」




「───でも、誰よりも文学部が大好きでしょ?」




それは、どこかで聞いたことがある問いだった。
あれは、そう、ちょうど一年前。千草先輩に対して前代の部長から問いかけられた言葉だ。
───文学部が好きか、と。
それは友達同士の会話に出てもおかしくない、ありふれた質問だ。
けど、この部室ではその問いに込められた重みが違う。

部長として、部員を引っ張って行く覚悟があるか?
部のことを一番に考えられるか?

まさに部の引き継ぎをかけた、“伝統の問い”だった。

「どうかしら、桔梗君」
「えっと、僕は……」
『───午後六時になりました。部活動や委員会などで、まだ学校に残っている人は速やかに下校してください。繰り返します。部活動や───』

答えに窮したその時、幸か不幸か校内アナウンスが流れ始めた。

「ま、今無理に答えなくてもいいわ。でもね、そろそろ後任を決めないといけない時期なの。家でじっくり考えて、次会う時までに答えを用意しておいてもらえると嬉しいな。じゃ、下校時間になっちゃったし、みんな帰ろっか」

部長の締めで、みんなそれぞれ帰宅準備を始める。
昼間、あれほど僕を部長に推薦していた青磁と茜も、今度は何も言わなかった。
それは多分、答えは“僕自身の意志で決めろ”ということなのだろう。その思考過程に自分たちが余計な口出しをすべきではない、と考えているに違いない。
帰り際に『ごめんね、桔梗君。急にあんなこと言っちゃって』と謝った部長の表情が、とても重く心にのしかかった……。






*   *   *   *   *






「ん? なんだあの騒ぎ? なんかあったのかな?」

校門を出た所で茜、紫苑先輩、千草部長と別れ、青磁と二人で帰路を歩いていると、その中途になにやら騒がしい様子の人だかりができていた。
救急車が止まっていることから、人身事故でも起きたんだろうか、と推測する。
青磁は、野次馬の中に顔見知りの近所のおばさんを見つけて何事かと尋ねていた。

「それがね〜、どうも高校生くらいの女の子が一人倒れていたらしいのよ。それも制服じゃなくて、病院の入院患者用の服を着た格好で。多分、町はずれの病院から抜け出してきたのだろう、と救命士さんは仰っていたけど、こんな寒い時期に外に出るなんて一体何考えてたのかしらね……」
「女の子ですか……」
「ええ。桔梗君、その子に何か心当たりでもあるの?」
「え……いえ、別に……」

否定しながらも、脳内に様々な映像なフラッシュバックする。
現実ではない、どこか別の場所。別の誰かの物語。

まさか、その女の子って……。



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